生き抜く知恵と力―禅と仏教の視点

セラピストとして、研究者として思うときがあります。

それは、クライアントをどうすれば、サポートできるかということ。

既存のモデルや、テクニックに限界を感じることもあります。

日本で育ち、たくさんの本を読み、トレーニングを受け、大学で研究を続け、日々臨床にかかわっているにのかかわらずです。

私は、セラピストという存在は、時に、クライアントにとってパートナーより、子供より、親友より、家族より深いつながりを感じるのではないかと信じています。なぜなら、セラピストは、クライアントの誰にも話せない、もしくは誰にも理解してもらえないことを共有するからです。そして、私は、90年代から今日まで、共痛(きょうく)という日本のセラピー、支援者の視点を守っています。Person centred therapyのCongruence より深く、クライアントさんの感情、思考、状況をセラピストが味わうという意味ではより深く。共痛とは、Empathyではありません。クライアントの痛みを自分という自我、概念を取り除き、プロフェッショナルとして感じるということです。具体的に言えば、クライアントとの深い絆です。

私は逃げない。

私は驚かない。

私はあなたを判断しない、ジャッジしない。

だけど、私はあなたを支えたい。

という、穏やかで、強く、しなやかな心構えです。

 

禅とセラピーについて:

今から10年ほど前、オークランド大学大学院で、Zenアートセラピーを開発していた頃から日本の禅と仏教、日本人の哲学に関する研究をしてきました。今日は、禅の言葉をいくつか紹介したいと思います。

 

禅には「退歩(たいぐ)」という言葉があります。

退くこと。
一歩さがること。

しかしこれは「負ける」という意味ではありません。

退歩とは、
反応しそうになる自分から一歩さがること。

感情に巻き込まれる前に、
自分を俯瞰すること。

神経科学的に言えば、
これは「扁桃体優位の状態」から「前頭前野の状態」に戻る動きです。

つまり退歩とは、
反応ではなく選択を取り戻す行為です。

選択は大きなものです。被害者意識であれば、加害者マインドであれば、また救済者の自我であれば、選択するのではなく、状況をコントロールしたくなる、または状況に期待し、かなわなければ失望します。

私たちは、状況を変えられなくても、

その状況を俯瞰する知恵と力

その状況にコントロールされない山のような、大木のような態度

その状況に対する思考と感情を選ぶ自由があります。

だから、その状況を打破する行動をとれるのです。

 

もう一つの言葉が「放下(ほうげ)」。

放り下ろす、という意味です。

握りしめているものを、
そっと手放す。

怒り。
正しさへの執着。
評価への不安。
コントロール欲求。

それらを無理に消すのではなく、
「持たなくてもいい」と気づくこと。

禅ではよく言います。

放下著(ほうげじゃく)
― ただ放下せよ

これは諦めではありません。

放下とは、
状況を手放すことではなく、
「執着」を手放すことです。

怒りや執着は、結果、自分の体を焼き尽します。怒りという感情が、執着という行動を起こし、まるで火山のマグマが町を焼きつくすように、あなたの人生を静かに、ゆっくりと壊していく。

 

大愚と無心

禅には「大愚(たいぐ)」という表現もあります。

直訳すれば「大きな愚かさ」。

しかしこれは、本当の愚かさではありません。

計算しすぎない。
勝ち負けに執着しない。
評価に振り回されない。

それは、
無心・無執着の強さに近い状態です。

外から見ると力を抜いているように見える。
けれど内側は、揺るがない。

闘争心ではなく、
透明さからくる強さ。

それが「大愚」の境地です。

ようするに、最強のバカということ。タロットカードの愚者と同じようなこと。

悟り、真実を、世の中の理(ことわり)に気づいた者だけが得られる、自由な賢者。

Alignment:

最後に、これらの禅の考えを実行すると怒る心理的影響をご紹介します。

Alignment(人生の整列)

心理学では、人生が整い始める状態を
Alignment(人生の整列) と表現することがあります。

外側の状況が完全でなくても、

  • 自分の価値観

  • 行動

  • 役割

  • 内面の静けさ

が一致しているとき、
人は深い安定に入ります。

無理に押し進めていないのに前に進む。
戦っていないのに道が開く。

これは偶然ではなく、
内側の整列が外側の現実に影響している状態です。

禅で言うならば、

退歩し、
放下し、
大愚の境地に近づいたとき、

人は無心に近い状態になります。

そのとき初めて、

本当の意味で
自然な力が発揮されます。

 

無敵とは何か:

本当の無敵とは、

誰かを打ち負かすことではなく、
自分の中心が整っていること。

退歩できること。
放下できること。
大愚でいられること。

そして人生が整列していること。

外の嵐がどれほど強くても、
中心が静かであれば、人は崩れません。

禅と神経科学は、
異なる言語を使いながら、
同じ地点を指し示しています。

無心。
無執着。
整列。

そこに、本当の強さがあります。

世界は刻々と動いています。特に、Covid以降の世界は、観方によっては、毎日がポジティブではないかもしれません。

ですが、私は、私たちが生き抜く知恵と力をもっていれば、幸福で、穏やかな、そして自分らしい毎日を過ごせるのだと信じています。

この記事が皆様のお心を癒すお手伝いとなりますように。

心をこめて。

 

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