Mud Lotus トラウマ統合モデル:トラウマ、感情、禅をつなぐ統合的概念フレームワーク
観照―私たちは、本当に「感情」に苦しんでいるのでしょうか?
SAMHSA(2014)は、トラウマを「身体的または心理的に有害、あるいは生命を脅かす出来事を経験し、その影響が長期にわたり心身や社会生活に及ぶもの」と説明しています。さらに、van der Kolk(2014)は、トラウマは単なる出来事の記憶ではなく、身体にも保持され続けることを示しています。
臨床の現場でも、その影響は実にさまざまな形で現れます。
私が最もよく耳にする言葉があります。
「感情をコントロールできません。」
「感情に振り回されてしまいます。」
「何を感じているのかわからないのに、身体だけが苦しいんです。」
このような悩みを抱えている方は少なくありません。
しかし、ここで一つ考えてみたいことがあります。
私たちは、本当に"感情"そのものに苦しんでいるのでしょうか。
実は心理学や神経科学では、「Emotion」と「Feeling」は異なるものとして理解されています。
神経科学者 Antonio Damasio(1999)は、Emotionを身体で起こる自動的な生理学的反応、Feelingをその身体反応を脳が意識的に知覚した主観的体験として区別しています。身体はまず自動的に反応し、その反応を私たちは「怖い」「不安だ」などのFeelingとして意識します。その後、その体験に意味づけ(Interpretation)が加わっていきます。このことは、私たちが普段「感情」と呼んでいるものが、一つではなく、少なくとも二つのプロセスから成り立っていることを示しています。
図にするとこうなります。
同じ出来事でも、人によって感じ方が違う理由
例えば就職面接の日。
身体は自然に緊張します。
しかし、その後の解釈は人によって異なります。
ある人は
「失敗するかもしれない。」
と思います。
一方で別の人は
「面接官も忙しそうだな。」
と思うかもしれません。
この違いをCBT(認知行動療法)は
Interpretation(解釈)
として説明します(Beck, 2020)。
また、CBTでは、この仕組みをどのように説明しているのでしょうか。Aaron Beckは、出来事そのものではなく、その出来事をどのように解釈したかが感情や行動を生み出すと考えました(Beck, 2020)。
私たちは、出来事そのものが感情を生み出すと考えがちです。しかしCBTでは、その出来事をどのように解釈したかが感情や行動に大きな影響を与えると考えます。
CBTでは、このプロセスは一般的に
Stimulus
↓
Interpretation
↓
Emotional experience
↓
Behaviour
というプロセスがあると考えられています。そして大切なことは、この解釈の元になるのが、その人の人生経験、文化慣習、家族のルールなどがベースになっている、そして、興味深いことに、人が反応しているのは現在の出来事そのものではなく、その出来事によって活性化された過去の記憶や信念であることが少なくありません。CBTでは、このような解釈を支えているものとして、Core Beliefs(中核信念)があると考えます(Beck, 2020)。
Core Beliefsは、自分自身、他者、そして世界についての基本的な見方であり、それらが積み重なることで、一人ひとりのBelief System(信念体系)が形成されます。
例えば、虐待を受けて育てられる。その後も対人関係での摩擦が絶えない。対人関係のトラブルから金銭トラブルへ発展する。金銭トラブルからさらに孤立する。この人をAさんと定義します。そうすると、Aさんの過去の経験から、
私という信念:私は、不幸な人間だ。
人々という信念:人々は私を傷つけてくる敵だ。
世界観:世界は恐ろしい。
となるかもしれません。
一方で、幸福な家庭で育ち、たくさんの友人知人に支えられ成長し、楽しい日々を送っている。この人をBさんと定義します。そうすると、その人の過去の経験から、
私という信念:私は、幸福な人間だ。
人々という信念:人々は私を支えてくれる存在だ。
世界観:世界は優しい。
となるかもしれません。
ですから、最初に示した、面接のシチュエーションを考えると、まったく同じ状況にもかかわらず、AさんとBさんの行動や反応は正反対かもしれません。
Aさんの場合;
刺激(Stimulus)、シチュエーション:試験官が書類をみて眉をしかめる。
解釈(Interpretation):「私の履歴書をみて、この人は雇わないと思っているんだ」
Emotion:・心拍数が上がる ・身体がこわばる ・呼吸が浅く速くなる
Feeling:・強い不安 ・頭が真っ白になる
Behaviour:
・視線をそらす
・声が小さくなる
・質問に答えられなくなる
Bさんの場合;
刺激(Stimulus)、シチュエーション:試験官が書類をみて眉をしかめる。
解釈(Interpretation):「疲れているのかな?たくさん面接しているんだろうなあ、大変な仕事だなあ。」
Emotion ・心拍数が少し上がる
Feeling ・少し緊張しているな ・でも大丈夫そうだ
Behaviour:
・笑顔で応答する
・落ち着いて質問に答える
・面接官の質問に集中できる
禅には、もう一つの視点がある
ここで私は、ときどきクライアントさんへ禅の考え方をご紹介します。
宗教としてではありません。
心を理解するための知恵としてです。
禅には
観照(かんしょう)
という言葉があります。
観照とは、
評価せず、
良い悪いを決めず、
まず事実をそのまま観ることです。
心理学でいう
Mindful Awareness(Kabat-Zinn, 2003)
にも近い考え方といえるでしょう。
離見という「もう一人の自分」
さらに能楽師・世阿弥は
離見(りけん)
という考え方を残しました。
これは
舞台の上の自分を
観客席から眺めるように見ること。
つまり
自分を少し離れた場所から見る視点です。
現代心理学では、
このような能力は
Self-distancing
や
Decentering
として研究されています(Kross & Ayduk, 2017)。
Mud Lotus Trauma Integration Model
私は現在、Mud Lotus Trauma Integration Modelを開発しています。
このモデルは、EMDR、CBT、内観療法、森田療法、禅、そして神経科学の知見を参考にしながら、身体感覚を出発点としてトラウマ統合を理解するために構築した統合的臨床モデルです。
このモデルでは、
必ずしもトラウマを繰り返し思い出すことを目標としません。
むしろ、
日々の生活の中で
「今日のコーヒーはおいしい。」
「空がきれいだ。」
「風が気持ちいい。」
このような小さな安心や喜びを
意識的に脳へ蓄積していくことを大切にしています。Hanson(2013)は、心地よい経験を数秒間意識的に味わうことで、その経験が脳に定着しやすくなり、既存の神経ネットワークの強化につながる可能性があると述べています。
近年の神経可塑性(Neuroplasticity)の研究では、
新しい経験の積み重ねが脳のネットワークを変化させることが示されています(Siegel, 2020)。
私のEMDR、CBT、内観療法、森田療法や禅の学びを通して、数々のクライアントさんが「過去に起こったことは変えられないけれど、過去のものとして見られるようになった。自分をとりもどした。新しい人生を歩んでいる感覚がある」とおっしゃっています。私は、それは統合なのではないかと考えます。
過去のトラウマを受けた自分、治療を終え、癒しを得て、俯瞰した過去のトラウマ、それはもうトラウマだけではなくなっているという統合です。
観照はReactionをResponseへ変える
トラウマがあると、
私たちは無意識に反応(Reaction)しやすくなります。
しかし、
一歩立ち止まり、
身体を感じ、
自分を観照することができれば、
反応ではなく
応答(Response)
を選べるようになります。
Viktor Frankl(2006)は、
刺激と反応の間には
「選択の自由」があると述べました。
Mud Lotus Trauma Integration Modelからみた感情
私たちは何に苦しんでいるのでしょうか。
出来事そのものではありません。
身体そのものでもありません。
私たちを苦しめているのは、出来事そのものではありません。
身体に生じるEmotionだけでもありません。
身体反応そのものが苦しみを生むわけではありません。
身体反応がBelief Systemを通して解釈されることで、苦しみが増幅されることがあります。
Mud Lotus Trauma Integration Modelでは、この一連のプロセスを身体反応から新しい理解へと向かう統合の流れとして捉えています。
The Mud Lotus Trauma Integration Model: An Integrative Conceptual Framework
Mud Lotus Trauma Integration Modelでは、この統合プロセスを次のように理解しています。
A conceptual framework describing how automatic bodily responses can be transformed into new understanding through Kansho (non-judgmental observation).
Figure 1.
The Mud Lotus Trauma Integration Model:
An Integrative Conceptual Framework
A conceptual framework illustrating how bodily responses, conscious awareness, beliefs, and interpretation interact to support trauma integration through Kansho.
Reality
(The event itself)
↓
Emotion
(Automatic body response)
↓
Feeling
(Conscious experience)
↓
Belief System
(Core beliefs & life experience)
↓
Interpretation
(Meaning-making)
↓
Kansho
(Observe without judgment)
↓
Lotus
(New understanding / Integration)
Emotionとは(Mud Lotusモデルからの視点)
Emotion(情動)は身体の自動反応です。
Feeling(感情体験)は、そのEmotionを私たちが意識した主観的な体験です(Damasio, 1999)。
両者は同じものではありません。
CBTでは、出来事をどのように解釈したか(Interpretation)が、その後の感情体験や行動に大きな影響を与えると考えます(Beck, 2020)。
一方、Mud Lotus Trauma Integration Modelでは、神経科学の知見を取り入れ、Emotion(身体の自動反応)とFeeling(主観的体験)を区別し、身体感覚をトラウマ統合の出発点として捉えています。
Belief Systemとは(Mud Lotusモデルからの視点)
Belief Systemは、Core Beliefsが積み重なって形成される、その人固有の「世界を見るレンズ」です。
このレンズは、
幼少期の体験、
文化、
家庭、
トラウマなどによって形成されます。
そのため、
同じRealityでも、
Interpretationは人によって異なります。
観照とは(Mud Lotusモデルからの視点)
観照とは、
感情だけを観察することではありません。
現実も、
身体反応も、
心が作り出した解釈も、
すべてを評価せずに観ることです。
つまり、
Mud Lotusでは、
観照とは「現実・Emotion・Interpretationを同時に眺める心の姿勢」です。
観照を繰り返すことで、
現実は変わらなくても、
理解は変わります。
世界は同じでも、
見え方は変わります。
Lotusとは(Mud Lotusモデルからの視点)
Lotusとは、苦しみが消えた状態ではありません。
現実は変わらなくても、その出来事との関わり方が変わり、新しい理解が生まれた状態です。
つまり、現実そのものではなく、現実との関係性が変化した状態を意味します。
Mud Lotus Trauma Integration Modelでは、
この変化のプロセスを
Trauma Integration
と定義しています。
おわりに
私は、
禅の観照は、
まさにその「間」を育てる実践なのではないかと考えています。
禅の「観照」と「離見」は、苦しみを消す方法ではありません。
苦しみの中で、自分自身との関わり方を変えていく智慧なのだと私は考えています。
世界は、ときに私たちの予想を超える出来事をもたらします。
Herman(1992)は、トラウマは人の安全感、自己統制感、そして他者とのつながりを根本から揺るがす体験であると述べています。
しかし、人は苦しみだけで人生を終える存在ではありません。
どんな人生にも、一つだけ変えられるものがあります。
それは、出来事ではなく、その出来事との関わり方です。
禅の「観照」と「離見」は、苦しみを消すための技法ではありません。
観照によって現実をありのままに見つめ、
離見によって自分自身を少し離れた場所から見つめる。
その二つの視点が重なったとき、
私たちは出来事に反応するだけではなく、自分で応答を選べるようになります。
泥の中から蓮が花を咲かせるように、
私たちもまた、苦しみを新しい理解へと変えていくことができます。
それが、Mud Lotus Trauma Integration Modelが目指す「Trauma Integration」の姿です。
泥は人生から消えることはありません。
しかし、その泥があったからこそ咲く花があります。
Mud Lotus Trauma Integration Modelでは、
その新しい理解を Lotus と呼んでいます。
Trauma Integrationとは、
過去を忘れることでも、
過去を書き換えることでもありません。
過去との新しい関わり方を育て、
現実をありのままに見つめながら、
自ら人生を選び直していくプロセスです。
その歩みこそが、
Mud Lotus Trauma Integration Modelが目指す
Trauma Integrationなのです。
本モデルは、神経科学、認知行動療法、トラウマ治療、そして禅の知見を統合した概念モデルとして提案するものである。今後は、その理論的妥当性、臨床的有用性、ならびに多様なトラウマ集団における有効性について実証的検証が期待される。
References
Beck, J. S. (2020). Cognitive behavior therapy: Basics and beyond (3rd ed.). Guilford Press.
Damasio, A. (1999). The feeling of what happens: Body and emotion in the making of consciousness. Harcourt Brace.
Frankl, V. E. (2006). Man's search for meaning. Beacon Press. (Original work published 1946)
Hanson, R. (2013). Hardwiring Happiness: The New Brain Science of Contentment, Calm, and Confidence. Harmony Books.
Herman, J. L. (1992). Trauma and recovery. Basic Books.
Kabat-Zinn, J. (2003). Mindfulness-based interventions in context: Past, present, and future. Clinical Psychology: Science and Practice, 10(2), 144–156.
Kross, E., & Ayduk, O. (2017). Self-distancing: Theory, research, and current directions. Advances in Experimental Social Psychology, 55, 81–136.
Siegel, D. J. (2020). The developing mind (3rd ed.). Guilford Press.
Substance Abuse and Mental Health Services Administration. (2014). SAMHSA's concept of trauma and guidance for a trauma-informed approach (HHS Publication No. SMA 14-4884). U.S. Department of Health and Human Services.
van der Kolk, B. A. (2014). The body keeps the score: Brain, mind, and body in the healing of trauma. Viking.