身体への気づき、その先へ―安心・観照、そしてトラウマから人生へ戻るということ
Beyond Body Awareness: Anshin, Kansho, and Returning to Life
身体への気づき、その先へ
安心、観照、そして再び人生へ戻るということ
PTSDと回復について
私は日々、トラウマを経験したクライアントさんへの心理療法に携わり、EMDRやTF-CBTなどのトラウマ治療を用いています。また、必要に応じてMovement Therapyなど、身体への気づきを取り入れたアプローチも活用しています。EMDRは、成人のPTSDに対する心理的介入の一つとしてWHOでも推奨されています(World Health Organization, 2023)。
しかし、私はクライアントさんによく、
「あなたにとって、治療が終わること、あるいはトラウマから回復することとは、どのような状態だと思いますか?」
と尋ねます。
すると、
「PTSDがなくなることでしょうか?」
と答えられることがあります。
では、PTSDの症状がなくなるまで、その人は「回復していない」のでしょうか。
治療の途中で、仕事を失ったり、恋人との別れを経験したり、大切な人を病気で亡くしたりするなど、新たな喪失やストレスに直面したら、どうなるのでしょうか。実際に、トラウマ的な経験があった方は、その後に、眠れない、食べられない、イライラする、落ち込む、不安になるなどといったトラウマ反応から、対人関係が悪化する、仕事を休みがちになるもしくはミスが増える、周囲から‘性格が変わった’と言われるなどの生活に変化がある方が多くいらっしゃいます。PTSDの影響は症状そのものに限らず、日常生活、対人関係、社会的機能にも及ぶことがあります(American Psychiatric Association, 2022; World Health Organization, 2024)。
一つのトラウマは、必ずしも一つの出来事だけで終わるとは限りません。
回復してから人生に戻るのではない
トラウマからの回復は、症状の軽減だけではなく、自分自身や他者、そして社会とのつながりを再構築していく過程としても捉えられてきました(Herman, 2022)。
以前、犯罪被害を経験したクライアントさんがいました。被害後もトラウマ反応に苦しみながら、被害者として刑事裁判に関わり続けなければなりませんでした。睡眠や集中力にも影響が現れ、仕事でのミスが増え、やがて失職の危機に直面しました。ストレスや薬の副作用による体重の変化は自己イメージにも影響し、Fight or Flight、Dissociation、Fawnといった反応が人間関係にも現れるようになりました。
こうして、最初のトラウマから生じた苦しみが、仕事、人間関係、自己尊重感、そして生活全体へと波紋のように広がっていったのです。
当時の私は、気づきました。
「PTSDという診断名がなくなる日や、Emotional Regulationができるようになる日だけを『回復』のゴールにするのは、今の彼女にはあまりにも遠すぎるのではないか。日々は止まらない。人生は今も進んでいる。それなのに、彼女の生活は次々と困難に巻き込まれている。『いつか回復した日』だけを目指すことは、彼女にとってあまりにも大きなゴールなのではないか」
そこで私は、EMDRと並行して、森田療法、内観療法、それからZenのコンセプトを使ったZenアートセラピー、MovementTherapyなどを提供しました。彼女は、森田療法の、「あるがまま」をとても気に入ってくれました。
いまの私でいい。状況に感情を入れて意訳しない。そのままを観る。受け止めなくてもいい。
そして、内観療法の、過去の対人関係から現在の自分が誰なのか?人生への感謝はどう感じるか?という療法もとても気に入ってくれました。
またMovement therapyでは、体と心と思考のつながりを取り戻しました。
こうしたアプローチをEMDRと並行して取り入れる中で、治療は少しずつ進み、彼女自身も、過去のトラウマを「今起きていること」ではなく、「過去に起きたこと」として捉えられるようになっていきました。EMDRでは、十分に処理されていないトラウマ記憶が現在の経験によって活性化されるという理解のもと、過去の記憶をより適応的な形で統合していくことを目指します(Shapiro, 2018)。
「一日に一秒でもいい、ああ、このごはんおいしいなあ、シャワー気持ちいいなあ、空がきれいだなあという瞬間を持てるといいですね。あなたの人生は今この瞬間も存在しているから」と伝えました。
彼女はいいました。「すごいことに気づきました!私はトラウマから回復する、を待たなくていい。私はこんなにめちゃくちゃな日々でも、生きてる。わたし、生きてます!」
彼女が涙を流しながら「わたし、生きています」と語ったその瞬間、私は禅でいう「大死一番」にも通じるものを感じました。
ここでいう大死一番とは、身体的な死を意味するものではありません。これまで自分を縛っていた自己理解や生き方が一度崩れ、その向こうから新しい生き方が立ち現れるような、根本的な転換を表す禅の言葉です。
彼女のPTSDは、その瞬間に消えたわけではありません。しかし、「私は回復するまで人生を待たなければならない」という、それまでの前提が崩れました。
「私は今も、生きている」
その気づきそのものが、彼女とトラウマとの関係を変え始めたのではないかと、私は考えています。
それから彼女は、治療をがんばりつつ、自分への愛情、尊厳、信頼をとりもどしつつ、日々の生活を少しずつ充実したものにし、そして、半年後、
「もうセラピーは必要ありません。パニック発作も悪夢もなくなりました。トリガーがきても、自分でPTSDの反応がでないように、意識的に、トリガーを理解し、危険だと感じないように心がけることでPTSDがでなくなりました。また出てもすぐに対応できるようになりました。」
とおっしゃいました。
彼女の言葉を聞いたとき、私は改めて考えました。
彼女の回復は、半年後にパニック発作や悪夢がなくなった日に、突然始まったのでしょうか。
私は、そうではないと思います。
回復はもっと前から始まっていました。
「ごはんがおいしい」
「シャワーが気持ちいい」
「私は今日も生きている」
そう感じられた、その瞬間にも、彼女はすでに自分の人生へ戻り始めていたのだと思います。
そして、おそらく重要なのは、症状が完全になくなることだけではありません。
身体の反応に気づくこと。
感情を理解すること。
トリガーに対処できるようになること。
それらはもちろん、とても大切です。
しかし、その先にもう一つの回復があります。
自分の人生が、トラウマだけでできているのではないと再び気づくことです。
トラウマを抱えていても、ごはんをおいしいと感じる瞬間がある。
悪夢を見た朝にも、空がきれいだと思う瞬間がある。
身体が震えていても、その身体とともに今日を生きることができる。
回復してから人生に戻るのではない。
回復の途中にある今も、人生はすでにここにある。
この臨床経験は、後に私がMud Lotus Trauma Integration Modelを考えるうえで、大切な問いの一つにつながりました。
Trauma recovery does not end with noticing the body. It may begin there, but it does not have to remain there.
トラウマからの回復は、身体への気づきから始まるかもしれません。しかし、身体だけに留まり続ける必要はありません。
Mud Lotusでは、身体を感じることがゴールではありません。感情を感じ切ることがゴールでもありません。身体や感情への気づきは、より広い自己理解へ向かい、そして再び自分の人生へ戻っていくための入り口なのです。
身体を感じながら、身体だけにならない。
それは、身体の反応に気づきながらも、その反応だけを自分の現実のすべてだと捉えないことです。
例えば、身体が震えているからといって、今この瞬間に必ず危険があるとは限りません。心拍数が上がっていることは、身体が何かに反応しているという大切な情報です。しかし、その身体反応だけで、今起きている現実のすべてを判断する必要はありません。
感情に気づきながら、感情だけにならない。
それは、今感じている感情を否定することなく認めながらも、その感情だけを自分自身や現実のすべてだと捉えないことです。
「怖い」と感じているからといって、目の前の人が実際に自分を傷つけようとしているとは限りません。
一方で、「怖い」というFeelingを無視する必要もありません。
なぜ私は怖いのだろう。
私の身体は何に反応しているのだろう。
今、本当に危険があるのだろうか。
それとも、現在の出来事が過去の記憶やBelief Systemを活性化しているのだろうか。
身体の反応も、感情も、大切な自分の経験の一部です。
しかし、それだけが現実のすべてではありません。
身体は情報を伝えてくれます。しかし、身体の反応だけが現実のすべてではありません。
感情も大切な経験です。しかし、今感じている感情だけが、私自身のすべてではありません。
だからこそMud Lotusでは、身体や感情に気づいたあと、そこに留まり続けるのではなく、少しずつ視野を広げていきます。
Body AwarenessとEmotional Regulationの、その先へ
これは、身体への気づきやEmotional Regulationが重要ではない、という意味ではありません。感情調整とは、単に感情を抑えることではなく、感情がどのように経験され、表現され、行動に影響するかに関わるプロセスとして研究されています(Gross, 1998, 2015)。
多くのトラウマ・インフォームドなアプローチでは、自分の身体反応に気づき、強い感情やトリガーが生じたときにも、それに完全に圧倒されることなく対処できる力を育てることが重視されています(Ogden et al., 2006; van der Kolk, 2014)。
また、トラウマ・インフォームドなアプローチでは、安全、信頼、選択、エンパワメントなどが重要な原則として位置づけられています(SAMHSA, 2014)。
臨床の現場でも、
「自分の感情を調整できるようになること」
「身体の反応に気づけるようになること」
「トリガーが起きたとき、自分を落ち着かせる方法を身につけること」
などが、治療目標として設定されることがあります。
これらは、トラウマからの回復において非常に大切な力です。
しかし私は、トラウマ臨床を続ける中で、もう一つの問いを持つようになりました。
その先には、何があるのだろう。
自分の身体反応に気づけるようになった。
感情に圧倒されても、少しずつ落ち着きを取り戻せるようになった。
トリガーが起きても、それに対処できるようになった。
では、回復はそこで終わるのでしょうか。
Mud Lotusでは、そこをゴールではなく、より広い自己理解と、人生への再参加へ進むための大切な土台として捉えます。
例えば、身体が緊張していることに気づいたとします。
「胸が苦しい」
「心拍数が上がっている」
「身体が固まっている」
Body Awarenessでは、まず、その身体反応に気づきます。
Emotional Awarenessでは、
「私は怖いんだ」
「私は不安なんだ」
と、自分のFeelingに気づくかもしれません。
そしてEmotional Regulationによって、その反応に完全に圧倒されることなく、少しずつ落ち着きを取り戻せるかもしれません。
Mud Lotusは、そこからさらに問いを広げます。
今、実際には何が起きているのだろう。
私の身体は、何に反応しているのだろう。
私は、何を感じているのだろう。
私は、この出来事をどのように解釈しているのだろう。
そこには、過去の経験から形成されたBelief Systemが影響していないだろうか。
そして私は今、本当は何を必要としているのだろう。
私は、これからどうしたいのだろう。
ここで、視点が身体の内側だけから、経験全体へと広がっていきます。
身体を感じながら、身体だけにならない。
感情に気づきながら、感情だけにならない。
現実も見る。
身体も見る。
感情も見る。
自分の思考や解釈も見る。
過去から形成されたBelief Systemも見る。
自分を取り巻く人間関係や環境も見る。
そして、自分が今どのような人生を生きていて、これからどのように生きたいのかも見る。
このように、自分の経験の一部分だけに飲み込まれるのではなく、経験全体をより広い視野から観る。
これが、Mud LotusでいうWhole Experience Awarenessです。
Kansho――経験全体を観る
Mud LotusにおけるKansho(観照)とは、身体だけを観察することでも、感情だけを観察することでもありません。
現実、身体反応、Feeling、思考、Belief System、Interpretation、そして自分を取り巻く世界を、どれか一つだけに囚われることなく観ることです。
つまり、
身体の中にいながら、身体を観る。
感情を感じながら、感情を観る。
思考を持ちながら、その思考を観る。
そして、
今、実際に起きている現実も観る。
Mud Lotusでは、このような観照の姿勢をWhole Experience Awarenessと捉えます。
Kanshoは、身体や感情から離れることではありません。
身体や感情を経験の一部として大切にしながら、それらだけに自分の視野全体を占領されないことです。
身体も私の一部。
感情も私の一部。
過去も私の一部。
しかし、どれか一つだけが「私」のすべてではない。
この視野の広がりが、新しい理解へ向かうための余白を生み出していきます。
Anshin(安心)とSafety
Anshin――絶対的な安全ではなく、小さな余白
では、人はいつ、自分の経験を少し離れたところから観られるようになるのでしょうか。トラウマ後には、実際の現在の危険だけではなく、過去の経験と関連した手がかりによって脅威反応が活性化されることがあります(Ehlers & Clark, 2000; van der Kolk, 2014)。
Mud Lotusでは、ここに Anshin(安心) という概念を置きます。
Anshinとは、悪いことがもう二度と起こらないという保証ではありません。
「あなたは安全です」
「もう危険はありません」
と、自分に言い聞かせることでもありません。
むしろ、
今、この瞬間なら、逃げなくてもいいかもしれない。
戦わなくてもいいかもしれない。
自分を守り続けなくてもいいかもしれない。
誰かを救いに行かなくてもいいかもしれない。
少しだけ、ここにいてもいいかもしれない。
そのような、小さな心の余白です。
私がここで「Safety」ではなく「Anshin」という言葉を使うのには理由があります。
トラウマを経験した人にとって、「あなたは安全です」という言葉が、必ずしも安心を生むとは限りません。
身体がまだ危険を感じているときに「あなたは安全です」と伝えられても、その言葉と自分自身の身体感覚との間に、大きな隔たりを感じる人もいます。場合によっては、自分が実際に感じている恐怖や警戒を否定されたように感じることさえあります。
Adverse Childhood Experiences(ACEs)は、その後の心身の健康やストレスへの適応と長期的に関連することが示されています(Felitti et al., 1998)。臨床の中では、長期的な逆境を経験してきたクライアントさんから、「そもそも、安全という感覚がよくわからない」と聞くこともあります。
だからこそ、Mud LotusにおけるAnshinは、絶対的な安全を宣言する言葉ではありません。
「私は安全だ」と信じなければならないわけでもありません。
ただ、今、この瞬間なら、少しだけここにいてもいいかもしれない。
その小さく、柔らかな余白です。
こうした既存のトラウマ研究と臨床実践を踏まえながら、Mud Lotus Trauma Integration Modelでは、回復をさらに「再び人生へ参加していくプロセス」として捉えます。以下に述べるAnshin、Kansho、Whole Experience Awarenessは、このモデルの中で私が用いている概念です。
Mud Lotusの視点では、この小さなAnshinが生まれることで、人は自動的なReactionからほんの少し距離を取り、自分の経験全体をKanshoする余白を持てるようになるのではないかと考えます。
これまでの臨床経験とMud Lotus Trauma Integration Modelの発展を通して、私はこのプロセスを次のように捉えています。
Trauma
↓
Anshin
↓
Kansho
(Whole Experience Awareness)
↓
New Understanding
↓
Response
↓
Re-engagement with Life
身体に戻ることだけが回復ではありません。身体とともに、再び人生へ戻っていくことも回復なのです。
「なぜ、いつも私が助けなければならないのだろう?」
日々トラウマ臨床に携わっていると、例えば、次のような会話が生まれることがあります。
あるクライアントさんが、こう話しました。
「最近、ベッドから出たくないんです。以前の僕なら、友達と遊びに行ったり、友達や家族の相談を聞いたりしていました。自分がどんなにしんどくても、誰かが困っていたら助けに行っていました。でも最近、ふと思うんです。どうして僕ばかりがみんなを助けて、誰も僕を助けてくれないんだろう。だったら、自分の時間を自分のために使ってもいいんじゃないかって。でも、そんなことを考える自分が嫌になります。罪悪感も感じます」
最初に紹介したクライアントさんが、「回復するまで人生を待たなくてもいい」と気づいたように、このクライアントさんにもまた、「人を救い続けることだけが自分の生き方ではない」という新しい理解が生まれ始めていました。
症状が消えたから人生が変わったのではありません。自分自身と、自分の経験との関わり方が変わり始めたのです。
私は、この「ベッドから出たくない」という状態そのものを、回復だと考えているわけではありません。
しかし、その人の中に生まれた問いには、大きな意味があると考えます。
以前は、「助けなければならない」という考えに従って、自動的に行動していた。
しかし今、「待てよ。なぜ、いつも僕が助けなければならないのだろう?」という問いが生まれている。
これは、自分がこれまで無意識に担ってきた役割を、一歩離れた場所から見始めた瞬間なのかもしれません。
交流分析のDrama Triangleという視点から見るならば、常に誰かを救おうとするRescuerの役割から少しずつ距離を取り、自分自身のニーズや限界にも目を向け始めた、と理解することもできます(Karpman, 1968)。
私はクライアントさんに、こう伝えることがあります。「それは、とても大切な変化かもしれませんね。以前は、誰かが困っていると、自分がどれほど疲れていても助けに行っていた。でも今は、なぜ、いつも自分が助けなければならないのだろう。自分の時間とエネルギーを、自分のために使って何が悪いのだろう。という問いが生まれている。それは、これまでの役割をそのまま繰り返すのではなく、自分が本当にどう生きたいのかを考え始めたということかもしれません」
この瞬間、人は単に身体を観察しているのではありません。自分の疲労も観ている。罪悪感も観ている。「人を助けなければならない」というBeliefも観ている。これまでの人間関係も観ている。自分が繰り返してきた行動のパターンも観ている。そして、今の現実も観ている。
さらに、「これからも私は、この役割を続けたいのだろうか」
と、自分の未来にも目を向け始めている。これこそが、Mud LotusでいうWhole Experience Awarenessです。
そして、その経験全体をKanshoする中から、新しい問いが生まれます。
「私は、これからどう生きたいのだろう?」
この問いが生まれたとき、人はReactionだけの世界から、Responseを選ぶ世界へと少しずつ移り始めるのかもしれません。
身体から、再び人生へ
身体は、トラウマが語りかける場所かもしれません。
だからこそ、身体の声に気づくことは大切です。
しかし、身体は私たちの人生のすべてではありません。
感情も、過去も、トラウマも、私たちの経験の一部ではあっても、私たち自身のすべてではありません。
Mud Lotusが目指しているのは、身体から離れることではありません。
感情を消すことでもありません。
身体を感じながら、身体だけにならない。
感情に気づきながら、感情だけにならない。
Anshinという小さな余白の中で、身体も、感情も、思考も、Belief Systemも、過去も、そして今ここにある現実も観る。
それが、Mud LotusにおけるKanshoであり、Whole Experience Awarenessです。
そして、その広い視野の中から、新しい理解が生まれる。
新しい理解から、これまでとは違うResponseを選ぶことができる。
そして少しずつ、再び人生へ参加していく。
Trauma recovery does not end with noticing the body. It may begin there, but it does not have to remain there.
トラウマからの回復は、身体への気づきから始まるかもしれません。
しかし、身体だけに留まり続ける必要はありません。
回復してから、人生に戻るのではありません。回復の途中にある今も、人生はすでにここにあります。
身体に戻ることだけが回復ではない。
身体とともに、再び人生へ戻っていくことも回復なのです。
Mud Lotusが目指しているのは、身体や感情を置き去りにして前へ進むことではありません。
身体も、感情も、過去も抱えながら、それらだけを自分のすべてにすることなく、自分自身の人生を再び歩き始めることなのです。
Note:The clinical examples presented in this article have been anonymised and adapted to protect client confidentiality.
注: 本記事に登場する臨床事例は、クライアントのプライバシーと守秘義務を保護するため、個人が特定されないよう匿名化し、一部の詳細を変更しています。
References
American Psychiatric Association. (2022). Diagnostic and statistical manual of mental disorders (5th ed., text rev.). American Psychiatric Association Publishing. https://doi.org/10.1176/appi.books.9780890425787
Ehlers, A., & Clark, D. M. (2000). A cognitive model of posttraumatic stress disorder. Behaviour Research and Therapy, 38(4), 319–345. https://doi.org/10.1016/S0005-7967(99)00123-0
Felitti, V. J., Anda, R. F., Nordenberg, D., Williamson, D. F., Spitz, A. M., Edwards, V., Koss, M. P., & Marks, J. S. (1998). Relationship of childhood abuse and household dysfunction to many of the leading causes of death in adults: The Adverse Childhood Experiences (ACE) Study. American Journal of Preventive Medicine, 14(4), 245–258. https://doi.org/10.1016/S0749-3797(98)00017-8
Gross, J. J. (1998). The emerging field of emotion regulation: An integrative review. Review of General Psychology, 2(3), 271–299. https://doi.org/10.1037/1089-2680.2.3.271
Gross, J. J. (2015). Emotion regulation: Current status and future prospects. Psychological Inquiry, 26(1), 1–26. https://doi.org/10.1080/1047840X.2014.940781
Herman, J. L. (2022). Trauma and recovery: The aftermath of violence—From domestic abuse to political terror. Basic Books.
Karpman, S. B. (1968). Fairy tales and script drama analysis. Transactional Analysis Bulletin, 7(26), 39–43.
Ogden, P., Minton, K., & Pain, C. (2006). Trauma and the body: A sensorimotor approach to psychotherapy. W. W. Norton & Company.
Shapiro, F. (2018). Eye movement desensitization and reprocessing (EMDR) therapy: Basic principles, protocols, and procedures (3rd ed.). Guilford Press.
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van der Kolk, B. A. (2014). The body keeps the score: Brain, mind, and body in the healing of trauma. Viking.
World Health Organization. (2023). Posttraumatic stress disorder (PTSD): Psychological interventions—Adults. WHO guidance on psychological interventions for adults with PTSD
World Health Organization. (2024, May 27). Post-traumatic stress disorder. WHO PTSD fact sheet